土俵の上で力士同士が組み合って戦う「相撲」。日本の国技として国際的にも認知されているスポーツです。そんな相撲の力士ですが、番付が十両以上の関取になると年収が1000万円を超えることをご存じでしょうか。
今回この記事では、力士として最高位の横綱に位置していた白鵬の資産や現在について解説していきます。
元横綱白鵬の資産はいくら?
日本相撲界の第69代横綱として活躍していた元横綱の白鵬。資産額について公表していないため不明ですが、総資産額は数十億円規模と言われています。都内やモンゴルに不動産を所有しており、高級車やブランド品を愛用しつつも堅実的で過度な浪費はしていません。
東京都の日本橋に土地を所有
白鵬は東京都中央区日本橋に、推定評価額15億円以上の480平方メートル余りの土地を所有しているそうです。
この土地は宮城野部屋を建てるために購入した土地だったが、現在は駐車場として利用。
今後、白鵬が代表を務める新会社のビルを建設予定としていることが報じられています。
現役時代の年収は2億円以上
白鵬が現役時代に得ていた年収は2億万円以上と言われています。
横綱の年収は、基本給で3600万円。これに加えてボーナスや本場所特別手当、懸賞金や優勝賞金などが加算されます。恐らく力士だけの収入で1億円以上得ているでしょう。
力士の収入の他に、テレビCMや番組への出演料、スポンサー収入などが加算され、推定年収は2億円以上になると言われています。
白鵬は引退して現在何をしている?
2021年9月30日に力士を引退した白鵬。引退後の活動や現在の活動について紹介します。
引退後は宮城野部屋の師匠として活動
2022年7月28日、引退した白鵬は師匠だった12代宮城野と名跡を交換して13代宮城野を襲名。宮城野部屋を継承した部屋持ち師匠になり、多くの弟子を指導していました。
しかし、2024年1月場所中に弟子の北青鵬が兄弟弟子に暴行を働いていたことが判明します。相撲協会は北青鵬と宮城野(白鵬)に複数回の聴取を実施。師匠の宮城野親方は監督責任が問われ、降格や報酬減額などの懲戒処分となりました。最終的に宮城野部屋は無期限で伊勢ヶ濱一門預かりとなり、宮城野部屋に所属する全員が転籍することになりました。
現在は新会社を設立
2025年4月、宮城野(白鵬)は伊勢ヶ濱親方を通して日本相撲協会に退職届を提出。6月2日に承認され宮城野は日本相撲協会から退職することとなりました。同日に宮城野は「相撲という文化をより広く次の世代に伝えていくために相撲協会の外の立場から発展に貢献していく決意を固めた」「相撲の未来を世界中の人々と共に築いていく活動に力を注いでいく」とコメントしています。
現在は親交のあるトヨタ自動車の豊田章男会長から支援を受けられる見通しであることを明かし、相撲の国際展開を目指す新会社を設立しました。
白鵬の引退理由
横綱として輝かしい存在だった白鵬ですが、2021年9月に現役力士を引退します。引退した理由は「ケガで万全に相撲が取れる状態で無くなったから」です。白鵬は引退を発表するまで右膝のケガによる休場が何度も行われていました。ひざの状態が悪化したことや、引退発表前には新型コロナウイルスに感染しており、体力の低下を感じて引退を決意したのでしょう。
10月1日に行われた引退会見にて「ホッとした気持ち、迷いはなかった」とコメント。悔いのない引退だったことがわかります。
白鵬とは
白鵬とは、モンゴル国ウランバートル市出身で宮城野部屋に所属していた第69代目横綱の元大相撲力士です。2019年9月3日に帰化して日本国籍を取得。日本国籍の本名は「白鵬翔(はくほうしょう)」で、帰化前のモンゴルでの本名は「ムンフバト・ダヴァジャルガル」になります。
様々な社会貢献活動を実施しており、国際親善交流相撲大会「白鵬杯世界少年相撲大会」の開催や高校生までの女子を対象とした相撲大会「ドリームガールズ杯」などを開催。世界中の子供達が相撲に取り組むきっかけを与えています。
白鵬の経歴
白鵬の力士としての経歴を紹介します。
生い立ち
モンゴル人民共和国代表として、メキシコ五輪のレスリング重量級銀メダリストの父親と、元外科医の母親の間に生まれた白鵬。小学生時代は毎年夏休みに祖父の牧場で過ごし井戸汲みや馬に乗って羊の世話をしていたそうです。牧場で育ったこの経験は白鵬の足腰の原型を作っており、後のインタビューにて「あの経験が無かったら横綱になれなかった」とコメントしています。
少年時代に来日を決意
日本へ来るまでは12歳頃までバスケットボールに熱中しており、モンゴル格闘技のブフは遊びでやっていた程度だったそうです。
15歳の頃、兄が柔道の教師になったが当時の白鵬は「柔道よりも相撲がやりたい」と固辞。母親は学者になってほしいと願っていたことからショックで言葉が出なかったそうです。しかし、母親は内心「厳しい稽古ですぐ帰ってくる」と考え、日本の相撲に入門することを許可します。モンゴルの中学校を卒業後、白鵬は日本へ向かいます。
相撲界へ入門
2000年10月頃、大相撲で活躍していたモンゴル出身の力士「旭鷲山」をつてに白鵬は6人のモンゴル人と共に来日。大阪府内で相撲を習っていたが、共に来日した5人の入門が決まる中、小柄な白鵬を受け入れてくれる部屋はギリギリまで見つかりませんでした。白鵬が帰国する前日、見かねた旭鷲山は師匠の2代大島に相談。大島は友人の10代宮城野に頼んで白鵬を宮城野部屋に受け入れてもらいます。
四股名は最初「柏鵬(はくほう)」とする案があったが、色白だったことから「白鵬」に決まります。
力士として大きく成長
2001年3月場所にて初土俵を踏んだ白鵬でしたが、番付に名前が載った5月場所では3勝4敗と負け越しています。しかし、食文化の違いを苦にせず大食いだったことや熱心な稽古への取り組みによって大きく成長。その後は番付を駆け上がり、休場を除いた2001年5月場所と2002年7月場所以外で負け越すことはありませんでした。
その後2004年の5月場所にて、史上4人目となる19歳1か月という若さで新入幕し、大きな話題に。その後も順調に昇進していきます。
横綱への昇進
2007年3月場所の千秋楽による優勝決定戦で朝青龍を下したが、横綱審議委員会で相撲内容が十分でないという意見もあり見送られます。しかし、その翌5月場所にて初日から14連勝で優勝を決め、千秋楽でも堂々とした相撲で朝青龍に完勝。全勝優勝を果たし、横綱審議委員会で満場一致となり第69代横綱への昇進が決定しました。
2007年7月場所から横綱として初土俵入りを果たし、その後陥落することなく2021年9月の引退まで横綱として活躍しています。
まとめ
今回は第69代横綱の元力士「白鵬」の資産や現在について解説しました。横綱という地位で長年活躍していたことから、資産が数十億円はあると言われている白鵬。現在は相撲協会から退職し、相撲界の発展のために新会社を設立しています。今後、白鵬が設立した企業が相撲界にどのような影響を与えるのか、注目していきましょう。