1954年に芸能界デビューし、女優として映画やドラマなど様々な作品に出演している「浅丘ルリ子」。2024年現在で84歳という年齢ながら時折テレビ番組に出演し存在を示しています。
「浅丘ルリ子の全盛期っていつなの?」「浅丘ルリ子の若い頃ってどれくらい美人だったの?」「浅丘ルリ子の年収や資産が知りたい」といった方に向けて、この記事で解説していきます。
この記事を読むことで女優「浅丘ルリ子」の若い頃や資産についてわかります。是非、最後まで読んでみてください。
浅丘ルリ子の全盛期はいつ?
浅丘ルリ子の全盛期は、1960年代です。この時代にブームを巻き起こしたのが日活株式会社が作った作品、通称「日活映画」です。この日活映画時代によって浅丘ルリ子はスターへと登り詰めたと言われています。浅丘ルリ子はインタビューでこの時代を振り返っており「自分の時間なんてない。朝起きたらすぐ撮影所で台本も4冊あってどれがどれだかわからない状態だった。」と当時の忙しさを語っていました。
浅丘ルリ子の若い頃が美人すぎる
浅丘ルリ子の若い頃について紹介します。若い頃から美しい顔立ちで美少女と注目された浅丘ルリ子。美しさの秘訣は「恋愛をすること」「きれいでいたい!という強い思いを持つこと」と話しています。
14歳で映画デビュー
浅丘ルリ子は、1955年に公開された映画「緑はるかに」でデビューしています。当時14歳という若さでヒロインの座をオーディションで勝ち取りました。その後は日活が作った様々な作品に出演し、スターへの道を駆け上がっていきます。
石原プロに入社
1966年に日活との専属契約を解除し、石原プロに入社しています。女優としての活動だけでなく、歌手としても活動。主に映画主題歌をメインに歌っており、1969年にリリースした「愛の化石」はオリコン2位という大ヒットを記録しています。
浅丘ルリ子の年収や資産を調査
浅丘ルリ子の年収や資産について調べてみましたが、これらの情報が公表されていないためわかりません。
デビューから2024年で芸能活動70年となる浅丘ルリ子。芸歴も長いことから年収は数千万円以上と予想します。
「リリースしたレコードやCD」「出演した映画やドラマのVHSやDVD」などから多くの印税が入っていることでしょう。また、テレビ番組の出演も1本辺り数百万~数千万円の出演料を収入として得ていると予想されます。
資産については、長年活躍していたことから数億円は所持しているのではないかと思います。
自宅について
浅丘ルリ子の自宅は公表していませんが、東京都渋谷区にあると言われています。一人暮らしのため、家も一軒家ではなく、マンションの一室に住んでいるそうです。東京都渋谷という場所のため、マンション一室の購入額は5000万円~1億5000万円になります。
浅丘ルリ子のプロフィールを紹介
- 名前:浅丘ルリ子(あさおかるりこ)
- 本名:浅井信子(あさいのぶこ)
- 生年月日:1940年7月2日
- 出生地:満洲国・新京
- 身長:156cm
- 血液型:A型
- 職業:女優
- 活動開始:1954年
- 趣味:スワロフスキービーズ細工、たばこ
まとめ
今回は、大御所女優「浅丘ルリ子」の全盛期や若い頃について解説しました。
1960年代の日活映画全盛期時代、浅丘ルリ子は持ち前の美貌から多くの映画に抜擢され、スターへの道を駆け上がってきた人物です。女優業だけでなく、歌手としても活動し1969年にリリースした楽曲「愛の化石」が大ヒット。オリコン2位を獲得するなど、当時の人気の高さが伺えます。
2024年で芸歴70年を迎え、84歳となる浅丘ルリ子。現在も映画やテレビ番組などに出演し、活動を続けています。活動を続けられている理由は「女優業が好きだから」との事で、今後も浅丘ルリ子は大好きな女優活動を続けていくことでしょう。
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