B’zや倉木麻衣、ZARDなどが所属しており、2023年に社名を「ビーイング」から変更した音楽制作会社「B ZONE」。日本の音楽プロデューサーとして活躍している長戸大幸によって設立された企業です。
今回この記事では、ビーイングの創業者長戸大幸の資産や前妻について解説していきます。
長戸大幸とは
長戸大幸(ながとだいこう)とは、日本の音楽プロデューサーであり、ギタリストやドラマ―としても活躍していた人物です。音楽以外では不動産投資家、企業経営者としても活動しています。
音楽制作会社「株式会社ビーイング」の設立者で、多くの有名アーティストを輩出。現在は不動産投資家として、様々な地域での街づくりに関わっています。
ビーイング創業者長戸大幸の資産について調査
音楽制作会社ビーイングを設立した長戸大幸の総資産は公開していないため不明ですが、数百億円から1000億円以上と言われています。ここでは、音楽プロデューサーとして成功し、多くの資産を所有している長戸大幸の資産について紹介します。
芦屋に豪邸を所有
長戸大幸は、高級住宅地としても知られている芦屋の六麓荘に自宅があります。敷地面積は約800坪の中に建てられた自宅は美術館のような見た目をしており、ゲストハウスを隣接。他にも屋外プールやテニスコートなどが完備されている大豪邸です。そんな大豪邸の総工費は9億円以上で邸宅の中には数々の美術コレクションが飾られていると言われています。
不動産投資で成功
音楽プロデューサーとしてとして活躍していた長戸大幸ですが、不動産投資でも成功しています。1990年代後半には、代官山の土地を買い取って都市開発を行い、オシャレな町というイメージに作り上げ代官山の価値を上げています。その後も大阪の土地を買い漁り、ブランドショップやカフェを建てるなど関西のおしゃれスポットを作っています。
2021年にはハワイのワイキキに約116坪の商業物件を5億5000万円で購入しており、今後の展開が期待されています。
長戸大幸の前妻は誰?
長戸大幸の現在の妻は元歌手の長戸千晶ですが「離婚歴があり、過去に別の女性と結婚していた」という噂が広まっています。先に結論から言うと、この噂は「信憑性が低いためデマの可能性が高い」です。この噂が広まった経緯について解説していきます。
噂が広まった経緯
長戸大幸に「前妻がいる」という噂が広まった経緯は、芸能ゴシップ誌や匿名掲示板の投稿から始まったと言われています。掲示板を見た人物がブログやSNSなどに転載し、噂が広まったのでしょう。一部の週刊誌では「業界関係者の話」としてこの噂を取り上げたことから信じる人が増えたと言われています。
しかし、長戸大幸もプライベートを明かしておらず、公的な記録も無いことから「前妻がいた」という噂を決定づける裏付けは見つかっていません。この噂はあくまで噂レベルにとどまっています。
長戸千晶とは
長戸大幸の現在の妻長戸千晶とは、元歌手で4人組バンド「PINC INC」のヴォーカル&ギターを務めていた人物です。出生名は「増井千晶」で歌手時代は「碧井椿」や「vivi」などの名前で活動。「vivichan」名義でYouTuberとしても活動しています。現在は3人の子供の母親として、子育てをしながら大阪でサロンのオーナーを務めているそうです。
長戸大幸の経歴について紹介
長戸大幸の経歴について紹介します。
生い立ち
1948年4月6日に公務員の両親から生まれた長戸大幸は、3歳の頃から地元の少年管弦楽団に入れられヴァイオリンを習います。
学生時代
中学時代にはジャズに興味を示し、マイルス・デイヴィスやセロニアス・モンクなどを聴いていたそうです。
高校時代にはビートルズを知り、1年生の頃に音楽サークルを立ち上げ、サッカー部の先輩とロックバンド「ザ・プラネッツ」を結成。ギターを担当します。
1967年に高校を卒業し、大学へ進学。新たなバンド「The Sounds Of Weeds」を結成し、京都の月世界や大阪のナンバ一番で活動します。
1969年5月、大学を中退し京都で5人組ロックバンド「FeedBack」を結成。後にバンド名を「赤と黒」に改名し活動を続けるが、メンバー2名の大学卒業を機に解散します。
京都で会社経営者になる
音楽で生活するのが困難だと考えた長戸大幸は、21歳の1972年に京都でブティックを経営します。現在の京都芸術大学にあたる藤川学園に入学し、ブティック経営も軌道に乗った25歳頃、吉田拓郎の楽曲「こうき心 ’73」を聴き衝撃を受けます。その後、長戸大幸はブティックも交際していた女性も全て捨てて吉田拓郎に会うために100万円と車1台で再び上京します。
作曲家に目覚める
上京から1週間後、ビクターに勤めていた星加哲(星加ルミ子の弟)などと知り合い、星加に紹介された妹尾隆一郎のマネージャーになります。家賃8000円の部屋を借りて住み込み、妹尾の事務所「BIG MUSIC」を設立。そこで妹尾のテスト盤を制作します。
1975年、テレビ番組などにテスト版を持って妹尾を売り込んでいたところ、月光恵亮から「作曲家に向いている」と誘われ音楽事務所「オフィス・トゥー・ワン」に所属。作曲活動を始めます。1976年に作曲した楽曲「愛の翼」が映画に使用され作曲家デビューを果たします。
音楽制作会社「ビーイング」の設立
1978年11月、オフィス・トゥー・ワンの社長や阿久悠から出資してもらい音楽制作会社「ビーイング」を設立。当初は赤字が続いたことから自分以外の200万円の株を買い取って独立します。独立後はTUBEやB‘z、ZARDなど様々なアーティストの楽曲を手掛け、デビューしていきます。
社名の変更
2023年4月、株式会社ビーイングは企業名を「株式会社B ZONE」に変更。新社名の由来は「存在すること」を意味するBeingのBと、感覚が研ぎ澄まされている状態を表す「ZONE」を掛け合わせたもの。
企業名変更について公式ホームページにて「慣習に囚われることなく進化変革の時代に生きる音楽やエンターテインメントを創出するため”B ZONE”に生まれ変わります」とコメントしています。
まとめ
今回は、ビーイングの創業者長戸大幸の資産や前妻について解説しました。音楽プロデューサーとして数々の大ヒットアーティストを輩出し、不動産投資家としても成功している長戸大幸。芦屋の六麓荘に大豪邸となる自宅を持ち、総資産額は数百億円以上と言われています。
「過去に離婚しており前妻がいる」と噂になっていますが、過去に結婚していた人物も特定されておらず、匿名掲示板という信憑性が低い情報のため、前妻がいた可能性は低いでしょう。
2025年10月現在、年齢が77歳の長戸大幸が今後どのような活躍を見せていくのか注目です。