2016年に中学生という史上最年少の若さで将棋のプロ棋士となり話題になった藤井聡太。プロ入り後も数々のタイトルを獲得し、2024年10月現在は七冠を達成しています。「藤井聡太の年収っていくらなの?」「藤井聡太の功績や偉業を教えてほしい」「藤井聡太のプロフィールが知りたい」といった方に向けて、この記事では
- 将棋で活躍している藤井聡太の年収はいくら?
- 藤井聡太の功績や偉業を紹介
- 藤井聡太のプロフィールを紹介
についてそれぞれ解説していきます。この記事を読むことで藤井聡太七冠の年収がわかります。是非、最後まで読んでみてください。
将棋で活躍している藤井聡太の年収はいくら?
将棋で活躍するプロ棋士は、「対局料・賞金」の他に「基本給」「イベント・番組出演」「講演会」「スポンサー契約」「将棋教室」などによって収入を得ています。藤井聡太の場合、2023年の対局料は1億8634万円。これに加えて基本給や出演料などを加算すると、2億円以上を年収で稼いでいると言われています。
藤井聡太の功績や偉業を紹介
藤井聡太の功績や偉業を紹介します。
公式戦勝利で最年少記録更新
2016年12月24日の第30期竜王戦のランキング戦にて加藤一二三との対局がプロデビュー戦となりました。年齢差62歳というプロ棋士公式戦で最大の年齢差となる対局で話題に。この対局に勝利したのは藤井聡太。これにより、公式戦勝利の最年少記録として藤井聡太の名が刻まれました。
デビューから29連勝
加藤一二三とのデビュー戦後、藤井聡太は連勝を伸ばし、2017年6月26日に行われた竜王戦本戦1回戦で増田康宏に勝利。これにより神谷広志が30年近く保持していた28連勝の記録を抜き、デビューから負けることなく歴代最多連勝記録の29連勝として記録が更新されました。その後30連勝を賭けた対局で佐々木勇気に負け、プロデビュー後初の敗北に。この連勝中多くのメディアが藤井聡太を取り上げ「藤井フィーバー」と呼ばれる社会現象となりました。
タイトル八冠を達成
現在は七冠の藤井聡太ですが、2023年10月11日にタイトル八冠を達成。「名人」「棋王」「王将」「竜王」「王位」「叡王」「棋聖」「王座」の全冠独占の偉業を成し遂げました。しかし、2024年6月20日に行われた叡王防衛戦で伊藤匠七段に敗北し、七冠に。全冠保持記録は254日、タイトル戦無敗記録は22期で止まることになりました。
藤井聡太のプロフィールを紹介
藤井聡太のプロフィールやプロデビューまでの経歴を紹介します。
プロフィール
- 名前:藤井聡太(ふじいそうた)
- 生年月日:2002年7月19日
- 出身地:愛知県瀬戸市
- プロ入り年月日:2016年10月1日(14歳)
- 棋士番号:307
- 所属:日本将棋連盟(関西)
- 師匠:杉本昌隆八段
- 保持タイトル:竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖
- 段位:九段
プロデビューまでの経歴
藤井聡太のプロデビューまでの経歴を紹介します。
幼少期
2007年の5歳の頃、祖父母から将棋のルールを教わる。藤井はすぐに将棋のルールを覚え、将棋を指せる祖父が相手をしていたが、秋になる頃には、祖父は勝てなくなってしまいます。2007年の12月に瀬戸市内の将棋教室に入会。師範に渡された、所司和晴「駒落ち定跡」をまだ読み書きができない状態で符号を頼りに読み、1年後にはすべてを理解していた。
研修会時代
小学校1年生の頃に東海研修会に入会する。2011年8月、小学3年生で第10回全国小学生倉敷王将戦・低学年の部で優勝。10月のJT将棋日本シリーズ東海大会の低学年の部でも優勝している。
奨励会時代
2012年9月に小学4年生で新進棋士奨励会に入会。新幹線で関西奨励会に通い、研究会にも参加しています。小学6年生の時に史上最年少で二段に昇段し、2015年3月の詰将棋解答選手権で史上最年少優勝。その後2019年まで5連覇している。中学1年生の2015年10月18日に三段に昇段。2016年に三段リーグで1位となり、10月1日に四段昇段(プロ入り)を決め、最年少棋士記録(14歳2か月)を62年振りに更新しました。
まとめ
今回は、藤井聡太の年収や功績などについて解説しました。2023年には年収2億円以上と言われる藤井聡太ですが、2024年はより多くなることが期待されています。2024年に七冠になってしまいましたが、今後も七冠を保持できるのか、保持したまま再度叡王のタイトルを取り戻すことができるのか、今後の藤井聡太に注目していきましょう!
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